実家は小学校のすぐそばにあったから、
校庭はじぶんちの庭のようなもので、
小学校に上がる前から、この広い校庭の隅々でよく遊んだものだった。
最も記憶に残っているのは、中でも太く大きい一本の木のこと。
私は、その木に “ラクダちゃん” と名前をつけて呼んでいた。
石垣の横に立っていたので、子どもの体でも石づたいに登ることができた。
太い幹が二股に分かれていて、その上で休むのにちょうどいい具合だった。
跨ると、まるでラクダの背中にでも乗っているような気分だった。
(未だに本物の駱駝に乗ったことは無いが、子どもながらにそう想ったものだ。)
「ラクダちゃん、来たよ。」と話しかけて、太い幹に抱きつくのが挨拶だった。
幹の凹みに小さな宝物を隠したり、ときには友だちとおしゃべりに夢中になったり、
ひとり、空想にふけってみたり。木の上は格好の遊び場だった。
木は独特の香りを放っていたのを、今でもはっきり覚えている。
樹齢何年も経っているだろうその木に触れていると、その芳香の中でなぜか安心できた。
木は独特の香りを放っていたのを、今でもはっきり覚えている。
樹齢何年も経っているだろうその木に触れていると、その芳香の中でなぜか安心できた。
今思えば、木が生きていると実感した初めての体験であったかもしれない。
鹿児島の古い神社には、クスノキが必ずと言っていいほど生育している。
旺盛な成長力に加え、寿命も長いときているので巨木が多い。昔から御神木として祀られ、現在では天然記念物に指定され、
守られているものも少なくない。
その太い幹からは大きい材木が得られ、耐湿性、耐久性に富んでいるため、
古くから船の材料とされてきたそうだ。日当山の蛭子(ヒルコ)神社(奈気木の杜ともいう)にも大きなクスノキがある。
境内の一角には朽ちた根株が残されている。ここに伝わる話は少し悲しい。
イザナギとイザナミの間に生まれたヒルコは成長しても足が立たなかったため、
高天原から舟に乗せて流された。その舟が流れ着いた地であるという、古い古い伝説。
遠足で訪れ、先生がその伝承を語るのを聞きながら、妙に人間臭い神話の世界に、
子供心にもショックを受けたことを覚えている。
子供心にもショックを受けたことを覚えている。
日本神話の世界に、“磐樟船(いわくすぶね)”という船が登場する。「クスノキで造った堅牢な船」という意味合いらしい。「日本書紀」では、この磐樟船にヒルコを乗せて流したと。一方、「古事記」では、その舟は、葦舟であったと。
はるか昔、蛭子神社の周辺は、今とは少し違った景色であっただろう。海はもっと近くまで迫っていたというから、葦などの水辺の植物が生茂る風景が浮かぶ。
葦の小舟、速く堅牢な磐樟船。この地を舞台に繰り広げられた歴史の変遷を感じる。
海と切り離して語ることのできない、私たちの祖先との深い関わりを想像して、興味が尽きない。
はるか昔、蛭子神社の周辺は、今とは少し違った景色であっただろう。海はもっと近くまで迫っていたというから、葦などの水辺の植物が生茂る風景が浮かぶ。
葦の小舟、速く堅牢な磐樟船。この地を舞台に繰り広げられた歴史の変遷を感じる。
海と切り離して語ることのできない、私たちの祖先との深い関わりを想像して、興味が尽きない。
薩摩藩の時代になると、樟の木は藩の財政を助けた。この木から抽出され製造された樟脳(しょうのう)は藩の貴重な財源の一つとなった。
子供の頃、身近にあったクスノキ。
この年になって改めて、郷土に根付く貴重な資源と認識する。伝えていきたいことの一つかな。と思う今日この頃。
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