2012/09/07

大隅国小河院 言葉の化石

言葉を覚え、会話ができるようになると、
迷子になった時のことを考え、親は子に、
住所が言えるようにと暗記させる。
私の子供の頃は、そうだった。

「かごしまけん こくぶし かみこがわ ****」
母親の前で直立し、暗唱させられる。
そんな記憶が、残っている。

この儀式をパスすると、少し、一人前になれたような気がした。
そして、次は、下の者の番。
弟がこの時期を迎え、何度も練習していたのを思い出す。
途中でつっかえてしまうのが、可愛くて、微笑ましかった。

ところで、この住所、暗記したものの、
はて、「なんで、かみおがわ…って言うのだろう?
上小川小学校は、家からは随分遠いのに。」
不思議に思っていた。

『角川日本地名大辞典』によると、
大隈国小河院に由来するらしく、
中世、鎌倉時代から見られるとある。
税所氏や正八幡宮の管理下にあったらしい。
日本史のキーワードの一つ、“荘園”制度の時代まで遡る。

近世、江戸~明治22年は、大隅国曽於郡国分郷上小川。
近代になると、国分村⇒国分町⇒国分市の大字として残った。
国分市上小川**と呼ばれる住所は、現在よりもっと広範囲を占めていた。

昭和40年代後半か50年代前半に、国分市の住所の表示変更があった。
実家の区域は、国分市中央*丁目… と改められた。
当時は、「なんと、都会的!」と思ったものだ。

そして21世紀、俗に言う「平成の大合併」で、霧島市国分中央*丁目… となった。
これから先、私が生きているうちに、また住所が変わることがあるのだろうか。。。

町の発展とともに行政区域の呼名が変わっていくのは、致し方ないこと。
しかし、慣れ親しんだ呼名が失われてしまうことがあってはならない。
まさか、「国分」の地名は無くなりはしないだろうが。。。 
その土地に伝わる「地名は生きた言葉の化石」という人もあるくらい
貴重な財産であるのだから。

記憶の片隅からも消え去ろうとしていた思い出がふと甦り、懐かしくも、
愛着があるものを失ったような気持ちになった。

幼い頃、苦労して覚えた住所は消えた。
でも、思い出は消えない。

追記
迷子のインコが警察に保護されたが、自ら(?)住所を伝え無事帰宅した。
そんなニュースがあった。