七夕祭りといえば、やはり、八月。
夏休みの楽しみの一つであった。
「七夕」と書いて、「たなばた」と読むのは、なぜ?
古い古い伝統行事の由来は、様々な文化・伝承が習合し、
継承され、今日に至っている。
私のふるさとにも、七夕にまつわる行事があった。
大正の頃まで、盛んに行われていたという、
「ネブイハナシ(眠り放し)」の行事は、非常に興味深いものがある。
旧国分市の資料によると、旧暦七月六日、七夕前夜、
広瀬地区では、14歳~20歳までの娘たちが、この日定められた宿に集合し、
白のジュバンに赤色の腰巻き姿になり、川の真水と海水が交じり合う河口で、
身を清め、濡れたままの姿で、夜中、地区の大通りを手をつなぎ、
「ネーブイハナショ、コンヤヒトヨハ、ユルシャンセ・・・」と歌いながら、地区を一周し、宿に戻ったそうだ。夜は、オトシェと呼ばれる、溶かした黒砂糖と小麦粉を練った小さな団子を入れた物を食べたり、コックリサン遊びをしたり、男女一対の着物を七夕紙で作ったりしながら、みんなで眠気を覚まし合い、一夜を過ごしたとある。
その夜は、娘たちであれば、どこの畑からでも無断で、野菜やスイカ、果物を取ってもよいと、言い伝えられていたそうだ。その云われは、お姫様が盗みを犯してしまい、罰を受けなければならないところを、お姫様を盗人にできないというので、一年に一晩だけは、盗みをしても許されるということにした為であると伝えられている。また、一説には、水神祭りの行事であり、白ジュバン、赤腰巻きは、海女の正装、手をつなぐ姿は龍を表現し、スイカや野菜は水神様への供物なので、どこからでも、取ってよいとされていた、という説もあるそうだ。海岸に近い地域で、盛んに行われていたが、姫城、重久、清水、国分地区でも広く行われていたとのこと。
なんとも、好奇心をそそられる話である。東北青森県の「ねぶた祭り・ねぷた祭り」も、眠気を覚ますための行事が由来と聞いたことがあるが、何か共通したものがあるやも知れない。
七夕紙で作った男女一対の着物は、細い竹に袖を通し、竹の両端に糸で、数個のほおずきや、トッサゴ(鳳仙花)の花をいっしょにさげて飾ったそうだ。とても風情を感じる。お盆にほおずきを飾る風習は、盆提灯に似た赤いほおずきを頼りに、祖先の霊が戻ってくるからとも言われている。
信州松本地方には、七夕人形と呼ばれる雛人形のようなものを飾る風習が、今でも残っているそうだが、これも、どこかでつながっているのだろうか。。。
「ネブイハナシ」は廃れて、現在では行われていないが、
七夕にまつわる行事として、貴重な伝統行事であると感じる。
きりしま想望