2015/07/11

芭蕉にも歩いてほしかった曾の細道


梅雨のさなか、五月雨のしとしと降る午前。
天降川の岸部。
その景色に誘われて、川岸を歩いてみる。
傘を弾く雨音の調べはテンポよく、
連られて足も弾む、雨の散歩道。

天降川は、水位増し、勢いよく流れていた。
湧水の国見岳から新川渓谷を走り下る水流と、
韓国岳南麓に発し流れ至る水流。
神聖なる山の水源から生まれた水は、
この松永の地で一つになり、錦江湾へと注ぐ。

遠くに霞む曾の山々が幾重にも重なり、山の端から霧が立ち上る。
雨の天降川の景観は、山水画の世界を見ているようだ。
神仙、精霊の存在さえ感じられても、不思議ではないほど。
曾の国の誇らしきかなこの眺め。

もし、松尾芭蕉がこの風景を目にしたならば、
どんな句を詠んでくれたのだろう・・・
ふと、そんなことを考えた。

奥の細道の旅を終え、芭蕉は京都や近江で閑居した後、江戸に帰る。
そして再び、次は九州への旅を志し、江戸を出立。元禄七年五月。
故郷の伊賀上野に戻り、奈良、大阪へと進んだが、4か月後、
志半ばで、病に倒れ、51歳で没す。十月十二日。
死を覚悟してもなお、旅の句を詠んでいる。

「 旅に病んで、夢は枯野をかけ廻る 」

芭蕉の魂は、南九州のわが郷土を旅しているだろうか・・・

芭蕉にも歩いてほしかった「曾」の細道
「五月雨を集めて早し天・降・川」

パクリではなく、オマージュです。
きりしま想望