祇園祭といえば、京都の夏を盛り上げる祭りとして有名であるが、私の町にも、「おぎおんさあ」と呼ばれる夏祭りがあった(私たちはぎおんまつりと呼んでいた)。国分の八坂神社がある八坂通りを中心に、中央通り、旭通り、新市街通りに夜店がならび、山車が通りをねり歩く。夕暮れ後しだいに暗くなるにつれ、この日ばかりは、街が提灯の灯りと祭り客でにぎやかになっていく。その様子にわくわくしたものだった。
山車に乗る子は、毎年、中学1年生になる年齢の女の子から選ばれるのだそうだが、きれいにお化粧をしてもらい、まとめ髪にきゅっと、ねじり鉢巻を巻き、太鼓、つづみ、鐘を演奏する姿は、清楚でありながら、凛々しさも感じられ、憧れるものがあった。暗闇と提灯が描き出す黒と橙色のコントラストは幻想的であり、お囃子の音色と相俟って、優雅な雰囲気をだしていた。そのお囃子のテンポはゆったりと、ゆったりと、そして、少しもの悲しく響いた。山車も人の歩く早さで進む。そこはかとなく、品のよさが感じられ、日本古来の祭りを思い浮かべる。昔は牛が山車を引いていたそうだが、さすがに私は記憶にない。是非、再現してほしいものである。
平安時代、都で疫病がはやり、疫神送りの祭事を行ったのが、祇園祭のはじまりであるといわれる。国分の「おぎおんさあ」は、どういった由来で、いつごろから、行われるようになったのだろう。文献によると、国分の祇園社は、はじめは府中にあったが、時代とともに商業の中心が本町の方に移ったので、祇園社も移された。廃仏毀釈後は八坂神社と呼ばれるようになり、夏祭りの一つとして、「おぎおんさあ」を行っているとある。一説には、夏枯れの商売の景気づけに、商売繁盛を祈ったのがはじまりであるとも言われているそうだ。
祭りと観光・・・
洋の東西を問わず、商業化してしまった祭りにわびしさを感じることがある。土地の人の祭祀であったものが、現代では集客目的になってはいないだろうか。お祭りを目当てにツアーが組まれ、参加したものの、見物人でごった返すばかり。
洋の東西を問わず、商業化してしまった祭りにわびしさを感じることがある。土地の人の祭祀であったものが、現代では集客目的になってはいないだろうか。お祭りを目当てにツアーが組まれ、参加したものの、見物人でごった返すばかり。
自由な旅をしていると、ふと立ち寄った小さい村で偶然、お祭りに出くわすことがある。質素ながらも村人が祭りの準備にいそしむ光景に、心を奪われる。
霧島国分夏まつりも、年々大規模になり、盛り上がりをみせているようである。それはそれで、大いに結構。ただ・・・
私の子供のころの夏祭りは、小さな町の、この土地の人々のささやかな楽しみであった。自分や友だちが描いた手作りの灯篭を見つけては喜んでいた。そんなことがうれしかった。。。
祭りの帰り道、夜空には天の川がきれいに見えていたのを思い出す。
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