2013/08/21

隼人(ハヤト)と呼ばれた人々

古代、南九州に、「ハヤト」と呼ばれた人々がいた。
「隼人」の文字は、文献に記述されている。
「熊襲(曾)」の記述と入れ替わるように、「隼人」が登場する。

大和朝廷が使った呼名ということになるが、熊襲は東北の蝦夷と同様、
まつろわぬ(従わない)者どもといった意味合いを含み、
まるで異民のようなあつかいを受けている。

熊襲と隼人との関係も
「ハヤト」と呼ばれる所以も、明確にはわかっていない。

彼らの行動が隼(はやぶさ)のように敏捷かつ、勇猛であったとか、
彼らの持つ呪術性が重要視されていたとか、
また、日本神話に登場する神の末裔であったりとか、
隼人(ハヤト)と呼ばれた人々は、朝廷から見て
大きな存在であったといっても過言ではないだろう。

そんな彼らが、活躍した場所が、我々のふるさと、
南九州の地であった。
深い森と川、豊穣の海、聖なる山々。
太古のころより、この地を営みの場としていた。
連綿と繰り返されてきた歴史の変遷を受けながらも、
現代に生きる我々の中に、そのDNAを繋いできただろう。

隼人(ハヤト)と呼ばれた人々に、
我々のアイデンティティを求めてみたくなる。
学問ではなく、浪漫チックに。。。

そして、貴方たちはどこから来たのかと問うてみたくなる。


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