2014/01/11

石體神社 ほんとの意味の倍返し

霧島市隼人町内(うち)という地名の一角に、
鹿児島神宮の元宮とされる石體神社がある。
神宮の広い敷地の東側奥の山裾、
大きな岩がごろごろとした場所に鎮座している。

石體神社は、安産祈願で有名な神社。
戌の日には、神主さんのご祈祷があり、
地元だけでなく、遠くからも参拝者があるという。

祈願後、境内の小石を一つ持って帰り、
無事に安産をおえたら、その石に、もう一つ石を添え、
二つにして返すのだそうだ。

感謝の意をこのように倍にして返す。
これがホントの「倍・返・し」。

石體神社の由来は古い。
山幸彦の妻豊玉姫が、息子ウガヤフキアエズノミコト(神武天皇の父)を出産する際に、非常に安産であったという日向神話に因んでいる。また、神功皇后(息長帯比売命)が、朝鮮半島へ赴く際、お腹の中に子供(応神天皇)がいたが、石を腹に巻きつけ戦い勝利したという話があり、岩田帯の由来になっているという。(これらは、記・紀によって語り継がれた話。)
さらに遡れば、この辺りは縄文の頃より、人々の生活の跡が見られる土地である。(神宮西参道口附近の宮坂貝塚が物語っている) 遥か昔、信仰の対象として祀られ、祭祀の場であったのが、石體神社の元来の姿ではないだろうか。


道案内▼
鹿児島神宮拝殿へ上がる階段の手前を右に折れると、用水路に沿って小道が延びている。先へ進んでいくと、隼人歴史民族資料館が見えてくる。さらに進むと、赤い橋が架かっていて、たもとに大きく「安産守護・石體神社」の看板が立っている。この用水路沿いの小道は、日当山の蛭子(ヒルコ)神社へと続いているのだが、春になると桜並木が美しい。


2014/01/07

七草祝い ありがたい記念写真

鹿児島では、一月七日は、七草祝いの日。
数えの七つになる子供の無病息災を願う
島津藩に伝わる伝統行事。
私の子供の頃は、非常に重要な日であった。

かすかな記憶をたどっていくと、
美容院へ行き、髪を結ってもらい、お化粧して、着付けがすむと、
写真館で記念写真、神社で祈願、公民館の庭で集合写真と忙しかった。

集合写真はいつ見てもいい。
一人ひとりを思い出す作業が好きだ。
ましてや、同級生となると妙に連帯感を感じ、なおさら。
もちろん、男の子も正装している。
晴の姿に、はにかみながらも、みんな凛として、緊張感さえ感じる。
(早生まれの子も一緒に写っていたような・・・)

アルバムをめくっていくと、断片的ながら記憶がよみがえってくる。
七草粥(鹿児島でズシ、雑炊のこと)をもらうために、
親戚、縁者の家を7ヵ所廻るのが慣わしなのだそうだが、そういえば、
父親に連れられて、本家の玄関に立ったような記憶もかすかに。。。
なんせ、もう半世紀近くも昔のことだ。

七草のために伸ばしていた髪は、その後ばっさりと切られてしまった。
おかっぱ頭に。

不思議なものだ。
一つ思い出すと、次から次へと思い出す。
まるで、マジシャンが引き出す旗のついた紐のように。

一人で撮影した記念写真は気に入っている。
我ながら可愛らしい。(成人式の写真よりいい。)
こっちの方がお見合い写真にならないかと思ったものだ。(苦笑)
節目、節目に親が残してくれた大切な記念写真。
ありがたい。。。

七草祝いは、島津藩特有のものであると、
知ったのは、つい最近のことである。
どうりで、七・五・三に馴染みがなかったわけである。