霧島市隼人町内(うち)という地名の一角に、
鹿児島神宮の元宮とされる石體神社がある。
神宮の広い敷地の東側奥の山裾、
大きな岩がごろごろとした場所に鎮座している。
鹿児島神宮の元宮とされる石體神社がある。
神宮の広い敷地の東側奥の山裾、
大きな岩がごろごろとした場所に鎮座している。
石體神社は、安産祈願で有名な神社。
戌の日には、神主さんのご祈祷があり、
地元だけでなく、遠くからも参拝者があるという。
祈願後、境内の小石を一つ持って帰り、
無事に安産をおえたら、その石に、もう一つ石を添え、
二つにして返すのだそうだ。
感謝の意をこのように倍にして返す。
これがホントの「倍・返・し」。
石體神社の由来は古い。
山幸彦の妻豊玉姫が、息子ウガヤフキアエズノミコト(神武天皇の父)を出産する際に、非常に安産であったという日向神話に因んでいる。また、神功皇后(息長帯比売命)が、朝鮮半島へ赴く際、お腹の中に子供(応神天皇)がいたが、石を腹に巻きつけ戦い勝利したという話があり、岩田帯の由来になっているという。(これらは、記・紀によって語り継がれた話。)
さらに遡れば、この辺りは縄文の頃より、人々の生活の跡が見られる土地である。(神宮西参道口附近の宮坂貝塚が物語っている) 遥か昔、信仰の対象として祀られ、祭祀の場であったのが、石體神社の元来の姿ではないだろうか。
道案内▼
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鹿児島神宮拝殿へ上がる階段の手前を右に折れると、用水路に沿って小道が延びている。先へ進んでいくと、隼人歴史民族資料館が見えてくる。さらに進むと、赤い橋が架かっていて、たもとに大きく「安産守護・石體神社」の看板が立っている。この用水路沿いの小道は、日当山の蛭子(ヒルコ)神社へと続いているのだが、春になると桜並木が美しい。