2013/08/30

うど婆ちゃんとちんか婆ちゃん

母がよく思い出話をする。
「おはんに、うど婆ちゃんが10円玉を握らせっせぇ、
黒砂糖をこけ行かせっおいやった」 と。
当の本人は、買いに行かされたという記憶がほとんどない。
ただ、うど婆ちゃんが黒砂糖を好きだったのは、覚えている。
冬の日、黒い着物をきて、縁側で日向ぼっこをしている丸い姿。

本家にうど婆ちゃんと、ちんか婆ちゃんがいた。

小さいころは、意味もわからず、そう呼んでいた。
いとこの姉ちゃんや兄ちゃんが、そう呼んでいたので、
同じように呼んでいただけだった。

うど婆ちゃんは、私が幼稚園に上がる前に亡くなった。
それからは、ちんか婆ちゃんしかいなかったから、
ちんか婆ちゃんって、「何でそう言うのかなぁ。」と思いつつも追求はしなかった。
その意味をちゃんと理解したのは、ずいぶん大きくなってからだった。

大きい婆ちゃんと、小さい婆ちゃん。
決して、体の大きさのことではない。

二人は嫁と姑の関係。
本家のおばちゃんや、うちの母はそのまた嫁。

うど婆ちゃんも、ちんか婆ちゃんも、
明治生まれの薩摩の女たち。。。

ちんか婆ちゃんは、高校生の時に亡くなった。
直接、話をすることはめったになかった。
昔のことを教えてもらうこともなかった。

「むかっのしは、ひでかったとぉ。」
昔の人は大変だったと、よく尊敬の念をこめて言われる。

薩摩の女たちの生活は、
今とはずいぶん違っていたのだろうなぁ。。。

2013/08/24

虹と国分平野

虹を見たとき、人はなぜか心が躍る。
なぜだろう。。。

虹は人工的につくり出すこともできる。
科学的な知識があれば、丸い虹だってつくることができるそうだ。
もともと、虹は円形なのだそうだ。

空中に残った水滴に、太陽の光が反射、屈折しておきる自然現象。
それが虹。でも、心が躍る。

わがふるさと、国分平野には、虹がよく出る。
雨上がり、虹を見るチャンスが多いのではないだろうか。

さえぎるものもなく、見えやすいという条件だけではなく、
何か、地形が関係しているのではないだろうか。
そう思うことがある。

国分小学校の校歌に、虹がでてくるのだ。

♪ 霧島北に 虹深く 南は燃える 桜島
仰いで励む 学舎に 
希望の 花を かざすのは
われらぞ 国分小学校

昔から、虹がよく出現していたのではないだろうか。
そう思える。(郷土史に記述はないものか。。。)

霧島連山を背景に、南に桜島を望む、国分平野。
昔に比べれば、田んぼが少なくなったが、
それでも、天降川の辺りに立てば、
360度見わたすことができる。
なんとすばらしい土地であることか。。。

虹の町。希望の町。わがふるさと。
ソシシノムナクニと呼ばれた土地は
稔り豊かな田園地帯へと変わった。
はるか昔から、我々の祖先が営み続けた理想郷。

この景観が壊されることがあってはならないと、切に願う。
どうぞ高層ビルが乱立するような、残念なことにならないように。。。















( 中学校、高校の校歌は、全く思い出せないのに、
不思議と、この校歌は、歌えてしまう。 )

2013/08/21

隼人(ハヤト)と呼ばれた人々

古代、南九州に、「ハヤト」と呼ばれた人々がいた。
「隼人」の文字は、文献に記述されている。
「熊襲(曾)」の記述と入れ替わるように、「隼人」が登場する。

大和朝廷が使った呼名ということになるが、熊襲は東北の蝦夷と同様、
まつろわぬ(従わない)者どもといった意味合いを含み、
まるで異民のようなあつかいを受けている。

熊襲と隼人との関係も
「ハヤト」と呼ばれる所以も、明確にはわかっていない。

彼らの行動が隼(はやぶさ)のように敏捷かつ、勇猛であったとか、
彼らの持つ呪術性が重要視されていたとか、
また、日本神話に登場する神の末裔であったりとか、
隼人(ハヤト)と呼ばれた人々は、朝廷から見て
大きな存在であったといっても過言ではないだろう。

そんな彼らが、活躍した場所が、我々のふるさと、
南九州の地であった。
深い森と川、豊穣の海、聖なる山々。
太古のころより、この地を営みの場としていた。
連綿と繰り返されてきた歴史の変遷を受けながらも、
現代に生きる我々の中に、そのDNAを繋いできただろう。

隼人(ハヤト)と呼ばれた人々に、
我々のアイデンティティを求めてみたくなる。
学問ではなく、浪漫チックに。。。

そして、貴方たちはどこから来たのかと問うてみたくなる。